日産ローレル

日産ローレル 誕生物語
 
日産ローレル(中)は、日産鶴見工場内開発室で1963年秋口から開発がスタートしたようです。当時、日産の乗用車に、タクシーや商業車の使用を目的にしなかった車種はありませんでした
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そこで、日産技術陣の中から、タクシーや商業車ではなく、個人利用を目的とした、近い将来のマイカー時代を先取りした車種が必要との発想から、セドリックとブルーバードを足して2で割った車を開発すべきとの首脳陣からの意向を受け、基本デザインがスタートしたようです。                                          
 また、同時に発売されたブルーバードはどうだったかと言いますと、開発は1961年5月からスタートしたそうです。 
 最初のデザインコンセプトは、P410のピニンファリーナのデザインの改良版だったそうです。当時 三角窓があり、サニーB10との合いの子のようなデザインです。
 ドライブトレインも、リーフリジッド、デフレンシャルギアとドライブシャフト一体型で、タクシーや商業車での故障やコストを意識した設計で進んでいたようです。まだまだ、当時の需要家は、タクシー会社が大半の様です。
そういえば、昭和40年代はブルーバードの小型タクシーが多かったですよね!
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 当時の川又克二社長が、双方のデザイン室を訪れた折、中(ローレル)の開発デザインを見て、『中のようなデザインは検討できないのか?』とハッパを掛けた事から、中(ローレル)で先行していた、直線スタイル(スーパーソニックライン)をデザインとして採用したそうです。ここにP510が誕生したと言えます。ただ、この時点では、ドライブトレーンは、4輪独立懸架は採用されていなかった様です。
 その後、川又社長から『うちは、I社の様に独立懸架の足回りを持った車は開発出来ないのか?』と開発技術陣にハッパを掛けた事から、プリンスグロリアのドデオンアクスル、ベレット、アルファロメオBMWを購入研究したそうです。
 
 ローレルの開発担当:四本課長と太田昇
 ブルーバードの開発担当:太田昇(兼任?)、デザイン担当 水津次長
 
 ローレルは、ブルーバード510から8ヶ月遅れて1968年4月に発売されることとなりました。一説には、ローレルが先行発売若しくは同時発売されることで、ブルーバードの販売実績への影響を懸念したようです。当時 BC戦争をトヨタと行っていた関係でしょう。ブルーバードは、1967年8月9日東京ヒルトンホテルでプレス公表されました。
 
 以上の歴史的、メーカー戦略により、不運な誕生となったローレルですが、デザインのまとまり、エンジン、性能(ラックアンドピニオン、曲面ガラス、コラボシブルシャフト採用のステアリング等々) マイカー時代の到来に合せて新しい技術を導入した車でありました。
 
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G18エンジンは、当時プリンスとの合併の際、ローレルを急遽 村山工場で生産すると決定された際、エンジンの供給等と1800ccの排気量へのボアアップを検討した結果、プリンスで開発されたG型(球形燃焼室をもつSOHC、5ベアリング、クロスフロー給排気方式等)が採用されたとのことで、加速、低域でのトルク感、高回転での吹き上がりは抜群です。
 
 この車とも、昭和51年からの付き合いで、免許もこの車で取得したような物です。
 現在は、横浜で車庫保管していますが、14年ぶりに車検を取得しましたが、ランオンが酷いのとブレーキマスターバックがエアー漏れしてしまい、現在手当てを待つ状況です。
 
 後日、マスターバックの交換を含め、近況がご報告出来るかと思います。
 
 ローレルC30について感心、興味、現在オーナーの方、ご一報頂ければ幸いです。