2回目
マヤ20関連の資料を参考に屋根、ラジエターファンのサイズを決めていきます。
参考資料
①1963年8月号 鉄道ファン 巻末資料 Vol.3 No.26付録 日本国有鉄道 2軸ボギー職用車(電源室付)
形式 マヤ20 RF16-005
②鉄道図書刊行会 鉄道ピクトリアル 2003年 12月 臨時増刊号 車両研究 1960年代の鉄道車両 P.84~P.95
③ネコ・パブリッシング 鉄道車両ガイド Vol.24 元祖ブルートレイン 20系客車
④インターネット:鉄道友の会 客車気動車研究会 中村 光司著 20系電源車の生涯
上記資料を基に、床下機器配置、屋上ファン位置、窓配置等検証しながら製作スタート。
誕生の経緯(復習)
マヤ20製作に当って
種車はご存知の
スハ32、
オハシ30(種車スハ32)です。
当初は、昭和38年「みずほ」の分割・併合運転に伴う門司~大分間の後部編成用に簡易電源車の必要から改造が小倉工場でなされました。1号車の誕生で、3号車は昭和40年に同工場にて誕生しています。電源装置は、皇室用460号と同じ DMH17CG機関(160PS)と440V3相交流を発生する125KVA PAG7発電機の組合せで2基搭載されました。
一部窓がルーバー化され、屋上には冷却用電動送風機が2基設置されています。床下には、900ℓの燃料タンク2基(
カニ22と同様)が設置され、台車はTR23バネは荷物車用に変更・ブレーキシリンダー1組追加、20系との連結の為、密着式自動連結器を備える。 整備重量43.7t 総重量46.3t
マヤ201:オハシ304(大井工場改スハ32381→スシ312)氷式冷蔵庫を設置した都合上配電盤付近の窓が元々埋められた状態。後日改修され明り窓が付いた。昭和38年5月14日落成
マヤ202:オハシ302005(スハ32244→スシ315) 昭和38年5月29日落成
2次車
マヤ203:スハ32278 昭和40年9月25日落成 運転中振動が激しい為同年11月 スハネ3040と台車を振替
検査票受などは後位③④妻側へ集約されているが3のみ通常の位置に有
バックサインは、①②エンド側の妻面左右に設置され、反対側の妻面には配電盤のみが設置されています。20系と同様の青15号クリーム色1号の帯入りとなりました。
昭和40年「さくら」「あかつき」の分割・併合運転から3号車が増備されました。
1~3号車は、①②エンド側の客用ドアは完全に外板で塞がれています。
昭和43年~44年にかけて、43年時刻改正(よんさんとう)に伴い「あかつき」の増発に伴い10号車~12号車と3両が増備されました。
10番台は、車両の重量配分を考慮して、エンジンを車体中央部に設置。機関は過給機TB15形付DMH17S-G(210PS)・PAG7Sとなり発電容量が165KVAにUPが計られております。
尚、3次車 マヤ20は、「あかつき1・2号」「
はやぶさ」との共通運用から長崎・
諫早客貨車区の簡易電源車の不足から急遽 スハ32612を改造しマヤ2013が昭和43年9月25日に、スハ322787を改造してマヤ2010が落成しました。昭和44年3月26日にスハ32197を改造しマヤ2012が落成しました。
マヤ2010:スハ322787 昭和43年9月25日落成
マヤ2011:スハ32612 昭和43年9月25日落成
マヤ2012:スハ32197 昭和44年3月26日落成 尾灯位置が10・11号より少し高め
1974年 14系寝台車への置換え、1975年3月
ダイヤ改正に伴い余剰となり5月には形式消滅しています。
前位側に簡易室が設けられ、0番台と外観が異なります。①②位側の客用ドアもそのまま残されています。0番と10番代
誕生の経緯
マヤ20製作に当って
種車はご存知の
スハ32、
オハシ30(種車スハ32)です。
当初は、昭和38年「みずほ」の分割・併合運転に伴う門司~大分間の後部編成用に簡易電源車の必要から改造が小倉工場でなされました。1号車の誕生で、3号車は昭和40年に同工場にて誕生しています。電源装置は、皇室用460号と同じ DMH17CG機関(160PS)と440V3相交流を発生する125KVA PAG7発電機の組合せで2基搭載されました。
一部窓がルーバー化され、屋上には冷却用電動送風機が2基設置されています。床下には、900ℓの燃料タンク2基(
カニ22と同様)が設置され、台車はTR23バネは荷物車用に変更・ブレーキシリンダー1組追加、20系との連結の為、密着式自動連結器を備える。 整備重量43.7t 総重量46.3t
マヤ201:オハシ304(大井工場改スハ32381→スシ312)氷式冷蔵庫を設置した都合上配電盤付近の窓が元々埋められた状態。後日改修され明り窓が付いた。昭和38年5月14日落成
マヤ202:オハシ302005(スハ32244→スシ315) 昭和38年5月29日落成
2次車
マヤ203:スハ32278 昭和40年9月25日落成 運転中振動が激しい為同年11月 スハネ3040と台車を振替
検査票受などは後位③④妻側へ集約されているが3のみ通常の位置に有
バックサインは、①②エンド側の妻面左右に設置され、反対側の妻面には配電盤のみが設置されています。20系と同様の青15号クリーム色1号の帯入りとなりました。
昭和40年「さくら」「あかつき」の分割・併合運転から3号車が増備されました。
1~3号車は、①②エンド側の客用ドアは完全に外板で塞がれています。
昭和43年~44年にかけて、43年時刻改正(よんさんとう)に伴い「あかつき」の増発に伴い10号車~12号車と3両が増備されました。
10番台は、車両の重量配分を考慮して、エンジンを車体中央部に設置。機関は過給機TB15形付DMH17S-G(210PS)・PAG7Sとなり発電容量が165KVAにUPが計られております。
尚、3次車 マヤ20は、「あかつき1・2号」「
はやぶさ」との共通運用から長崎・
諫早客貨車区の簡易電源車の不足から急遽 スハ32612を改造しマヤ2013が昭和43年9月25日に、スハ322787を改造してマヤ2010が落成しました。昭和44年3月26日にスハ32197を改造しマヤ2012が落成しました。
マヤ2010:スハ322787 昭和43年9月25日落成
マヤ2011:スハ32612 昭和43年9月25日落成
マヤ2012:スハ32197 昭和44年3月26日落成 尾灯位置が10・11号より少し高め
1974年 14系寝台車への置換え、1975年3月
ダイヤ改正に伴い余剰となり5月には形式消滅しています。
前位側に簡易室が設けられ、0番台と外観が異なります。①②位側の客用ドアもそのまま残されています。0番と10番代
誕生の経緯
マヤ20製作に当って
種車はご存知の
スハ32、
オハシ30(種車スハ32)です。
当初は、昭和38年「みずほ」の分割・併合運転に伴う門司~大分間の後部編成用に簡易電源車の必要から改造が小倉工場でなされました。1号車の誕生で、3号車は昭和40年に同工場にて誕生しています。電源装置は、皇室用460号と同じ DMH17CG機関(160PS)と440V3相交流を発生する125KVA PAG7発電機の組合せで2基搭載されました。
一部窓がルーバー化され、屋上には冷却用電動送風機が2基設置されています。床下には、900ℓの燃料タンク2基(
カニ22と同様)が設置され、台車はTR23バネは荷物車用に変更・ブレーキシリンダー1組追加、20系との連結の為、密着式自動連結器を備える。 整備重量43.7t 総重量46.3t
マヤ201:オハシ304(大井工場改スハ32381→スシ312)氷式冷蔵庫を設置した都合上配電盤付近の窓が元々埋められた状態。後日改修され明り窓が付いた。昭和38年5月14日落成
マヤ202:オハシ302005(スハ32244→スシ315) 昭和38年5月29日落成
2次車
マヤ203:スハ32278 昭和40年9月25日落成 運転中振動が激しい為同年11月 スハネ3040と台車を振替
検査票受などは後位③④妻側へ集約されているが3のみ通常の位置に有
バックサインは、①②エンド側の妻面左右に設置され、反対側の妻面には配電盤のみが設置されています。20系と同様の青15号クリーム色1号の帯入りとなりました。
昭和40年「さくら」「あかつき」の分割・併合運転から3号車が増備されました。
1~3号車は、①②エンド側の客用ドアは完全に外板で塞がれています。
昭和43年~44年にかけて、43年時刻改正(よんさんとう)に伴い「あかつき」の増発に伴い10号車~12号車と3両が増備されました。
10番台は、車両の重量配分を考慮して、エンジンを車体中央部に設置。機関は過給機TB15形付DMH17S-G(210PS)・PAG7Sとなり発電容量が165KVAにUPが計られております。
尚、3次車 マヤ20は、「あかつき1・2号」「
はやぶさ」との共通運用から長崎・
諫早客貨車区の簡易電源車の不足から急遽 スハ32612を改造しマヤ2013が昭和43年9月25日に、スハ322787を改造してマヤ2010が落成しました。昭和44年3月26日にスハ32197を改造しマヤ2012が落成しました。
マヤ2010:スハ322787 昭和43年9月25日落成
マヤ2011:スハ32612 昭和43年9月25日落成
マヤ2012:スハ32197 昭和44年3月26日落成 尾灯位置が10・11号より少し高め
1974年 14系寝台車への置換え、1975年3月
ダイヤ改正に伴い余剰となり5月には形式消滅しています。
前位側に簡易室が設けられ、0番台と外観が異なります。①②位側の客用ドアもそのまま残されています。0番と10番代特に12番がテールライト位置が高めに付いているようです。また、3号以降機関の改修の区別の為か、妻側のクリーム色の塗分けが窓シルヘッダー下まで拡大しています。
基本 0番台と10番台とでは、屋上ファン位置が微妙に変化があります。また、窓の塞ぎ位置等も変わってきます。
今回は、ドアの塞ぎやスハ32(KATOのスハフ33・オハ35)をそのまま加工少なく製作できる10番台とします。
各図面よりファンのサイズを求めます。
結果:79.75 とします。
この時は、重大なミス?に気づきません!